今月の少女趣味こうなあ十八
永訣の朝 宮沢賢治
けふのうちに
とほくへいつてしまふ わたくしのいもうとよ
みぞれがふつて おもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれは びちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべる あめゆきをとらうとして
わたしは まがつた てつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれは びちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふ いまごろになつて
わたくしを いつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたう わたくしのけなげないもうとよ
わたくしも まつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱や あえぎのあひだから
おまへは わたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた 雪のさいごのひとわんを
ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほる つめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごのたべものを もらつていかう
わたしたちが いつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんの この藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora OradeShitoriegumo)
ほんたうに けふ おまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらい びやうぶや かやのなかに
やさしく あおじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしの すべての さいはひをかけてねがふ
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)
あめゆきをとってきてください。
(Ora OradeShitoriegumo)
私は私で一人ゆく
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
今度生まれてくるときは、こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる
熊さん 宮沢賢治の有名な詩、「永訣の朝」です。一つ違いの同士ともいうべきとし子との永遠の別れの朝の歌です。 最初に読んだ時の衝撃を今でも思い出します。
虎さん この方言が難しいなあ。
ご隠居 (あめゆじゆとてちてけんじゃ)という言葉が、とし子の食べるあめゆきから、私を一生明るくするためのものとなり、最後に天上のアイスクリームとなるんやなあ。
虎さん なんか巻頭言とリンクしてますなあ。
ご隠居 へえ、おまはんもそう思うか。わしもとても不思議な気がしててん。とし子は、自分の病気という渕の中で大きく変わったんやな。それを賢治も感じる中で、椀の中の雪が、おまへがたべるあめゆきから、わたくしをいつしやうあかるくするものに変わり、最後にわたくしのすべてのさいはひをかけて他者にささげるものになったんやなあ。
熊さん 巻頭言を書くより随分前から今月はこの詩と決めてたのに、なんか、とても不思議な気がしますわ。
ご隠居 ほんまやなあ。